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[8808] [日本記事] 誕生秘話と苦難を乗り越えて掴んだ栄光…東方神起とSMエンターテインメントの“光と影” Name:運営者 Date:2017/08/23(水) 01:14 [ RES ]


(写真提供=SPORTS KOREA)イ・スマン会長(左2)と東方神起



※元メンバーの写真や話題が含まれています


誕生秘話と苦難を乗り越えて掴んだ栄光…東方神起とSMエンターテインメントの“光と影”

2017年08月22日/SKOREA

東方神起が日本で有名になっていくスピードと歩調をあわせてその名を急速に広めていったのが、SMエンターテインメントだ。
東方神起だけではなく、SUPER JUNIOR、SHINee、少女時代、f(X)などK-POPのトップランナーが所属する総合エンターテインメント企業である。

近年はEXOがブレイクし、2013年の総売り上げが2000億ウォン(約200億円)を超えて日韓で大きな話題になったが、ほんの十数年前までは売り上げ10億ウォン(約1億円)に過ぎない会社だった。

売り上げ200倍!? 東方神起と韓国屈指の芸能企業

設立者は、イ・スマン。

1970年代にフォークシンガーとして活躍し、1980年代にはラジオDJやテレビ司会者として人気を博した彼は、1989年に自身の名の頭文字からなるレコード制作会社「SM企画」を立ち上げ、同社を1995年に「SMエンターテインメント」として法人化させ、数々のアーティストを世に送り出した。

代表的なのは、1996年デビューの「H.O.T」と1998年デビューの「SHINHWA(神話)」だ。両グループともに圧倒的な人気を誇り、韓国の音楽史やアイドル史が語られる際には必ず登場するレジェンドだ。

同じ頃、イ・スマン会長はオーディションでBoAを発掘し、韓国はもちろん、日本にも進出させる計画を始動。2000年に韓国デビューし、翌2001年に日本デビューも飾った彼女は、瞬く間に日韓で人気を博した。

韓国出身の若手アーティストが日本で成功を収めた初めてのケースであり、その陰には1999年からSMに入社したキム・ヨンミン氏の存在があった。

父の仕事の関係で、4歳の頃から高校卒業まで日本で生活したキム・ヨンミン氏は、エイベックス、ホリプロ、吉本興業など日本のエンターテインメント企業とのパートナーシップでBoAの日本進出プロジェクトを主導。

一躍、社内のキーパーソンとなり、SMの海外進出事業を一手に担うことになる。

“五臓六腑”がグループ名の候補だった

そんなSMが満を辞して2004年にデビューさせたのが、「東方の神が起きる」と意味を込めて名付けられた「東方神起」だ。

東方神起は、SMエンターテインメントが野心的かつ計画的に進めてきたプロジェクトだった。
H.O.TやSHINHWAの成功で弾みをつけたSMは、独自のアーティストの発掘および育成システムを強化。韓国はもちろん、世界各国でオーディションを開催して歌やダンスの才能に優れた若者たちを発掘・スカウトし、金を惜しまずレッスンを積ませ、その才能の原石を磨かせた。

2003年には「スターライト・アカデミー・システム」という芸能スクールも立ち上げている。

そうした発掘・育成システムのもとで頭角を現した練習生の中から、さまざまな組み合わせが検討されて結成されたのが、ジュンス、ユンホ、チャンミン、ジェジュン、ユチョンら5人による東方神起だった。

ちなみに東方神起というネーミングが決まる前までは、いくつかの候補があったことは有名な話だ。

企画段階からアジア進出を念頭においていたこともあってSM社内で最初に候補に上がったのは、“チョンモッコ”(「伝説を食べて生きる鯨」という意味の韓国語の略語)、“オジャンユップ”(五臓六腑)、“東方不敗”だったという。

だが、“チョンモッコ”は他国の人には発音が難しいという理由で除外され、“オジャンユップ”は「すべての臓器が重要なだけに何ひとつ欠くものがないグループになろう」という意味そのものが幼稚だということで却下となった。
結果、“東方不敗”が残り、イ・スマン会長が同名の中国映画を作った監督を訪ね使用許可を得たが、“不敗”という漢字表記が良くないという意見もあり、最終的に決まったのが、東方神起だった。

もしも“東方不敗”だったらアイドルならぬ武侠集団と勘違いされていたかもしれないし、“オジャンユップ”ならメンバーが脱退した時点で改名を迫られていたかもしれない。

そう思うと、東方神起というネーミングでつくづく良かったと、SM関係者の誰もが感じているかもしれない。

韓国や日本はもちろん、世界レベルで最も成功したK-POPアーティストとされる東方神起。韓国では「SMエンターテインメントが作り上げた最高傑作」と呼ぶも者も少なく、特に日本で収めた成功は高く評価されている。

現在、日本には数え切れないほどのK-POPアーティストやアイドルグループが進出しているが、その道を切り開いたのは東方神起であることは誰もが認めるところだろう。

東方神起が日本で成功できたワケ

ではなぜ、東方神起は日本で成功できたのか。

韓国で最も強調されているのは、“徹底した現地化”。すなわち日本市場を意識した戦略だったとされてる。
というのも、2004年11月に初来日した東方神起は、韓国トップアイドルという肩書きに一切頼らず、韓国での成功もアピールすることなく、“新人歌手”の気構えで日本にやってきた。

当時、日本では『冬のソナタ』人気で韓流旋風が巻き起こっていたが、そのブームに便乗することもなかった。

日韓を行き来するのではなく、あくまでも生活拠点を日本に置き、メンバーは日本語を熱心に勉強して、日本の文化を学んだ。

楽曲や衣装も韓国から持ち込まなかった。日本の音楽プロデューサーのもと、新たに日本でボイストレーニングを積み、パフォーマンスにも磨きをかけた。

SMの提携先だったエイベックスの方針や戦略もあっただろうが、まさに日本でイチから始めたのだ。

韓国のとある東方神起ファンのブログには、当時のことがこう書かれている。

「韓国で“最高”だった東方神起だが、日本では誰も彼らを知らなかった。東方神起は無名の新人として底辺から始めねばならず、無料公演にストリートライブもやった。

ショッピングモールの階段で歌ったこともあった。“ローマに行けばローマの法に従え”という諺があるが、彼らにとってはまさに過酷な日々だった」

東京、大阪、名古屋、福岡、札幌での名刺交換会。握手会にアカペラ体験会。舞台や音響設備が整っていない大学の学園祭でのトークショー&ライブイベント。CDを持ってテレビ局やラジオ局を訪ねる日々…。

メンバーたちも、この日本進出初期が「最も苦しくしんどかった」と振り返っているのは有名な話だ。

今では想像もできないプロモーション活動を、地道に根気強く続けたのだ。

分裂の発端!! “奴隷契約”の中身と事実関係

その努力もあって徐々に知名度が広まり、テレビ出演なども増加。

2007年には日本武道館ライブ、2008年にはシングル『Purple Line』が初のオリコンチャート1位を獲得し、ついに紅白歌合戦にも出場。2009年7月にはトップアーティストの証ともいえる、東京ドーム公演を2日連続で開催するほどの人気者になった。
ちなみに東京デビュー年だった2005年のオリコン年間ランキングでは525位だったが、4年後の2009年には同ランク年間3位となったほど。頂点は目前だった。

ところが、その頂点を目前にして衝撃的な出来事が起こった。

2009年7月、ジェジュン、ユチョン、ジュンスの3人がSMエンターテインメントに対して、専属契約の効力停止を要求する手続きをソウル中央地方法院に提出。長きに渡って続くことになる分裂騒動の口火が切られることになったのだった。

3人が主張したのは、いわゆる「奴隷契約」問題だ。

@2004年デビュー以来、一年に1週間しか休みがなく、一日3〜4時間程度の睡眠時間しかない過酷なスケジュールで精神人的にも肉体的にも健康が悪化した。

A専属契約期間がおよそ13年という超長期。今後の兵役期間も含めた場合、15年以上になるが、まだ10年も消化していない。つまり事実上、芸能界を引退するまでの終身契約だ。

Bしかも専属契約を解除する場合、巨額の違約金を払わなければならないようになっているため、事実上不可能となっている。

C 契約金はなく、アルバム収益の分配金も50万枚以上販売された場合のみで、メンバー1人当たり1000万ウォン(約100万円)だけ。50万枚以下の場合は一銭も収益が配分されなかった。メンバーがアルバム販売として分配される収益金は1人当たり0.4〜1%に過ぎない。

そんな内容だった。

これが最初に明るみになったとき、超長期的かつ不公正な“奴隷契約”だという声も上がったが、それをそのまま鵜呑みにもできない側面もあった。SMエンターテインメントは報道資料として、次のように明らかにしているのだ。

@健康問題及びスケジュールに関しては十分に協議して進めてきた事項だった。

A韓国の公正取引委員会の標準約款では歌手との専属契約は7年と規定しておらず、海外活動する歌手の場合、契約期間に制限を設けるケースは少ない。

Bさらにメンバー5人とは専属契約締結後に5回にわたって相互合意のもとに契約を更新、修正しており、そのうち2回は損害賠償について、公正取引委員会の検討や確認を受けて修正した。収益配分に関しても、2004年1月、2007年2月、2009年2月に行われている。
C東方神起のデビュー後4年間、営業赤字記録したが、SMエンターテインメントは東方神起に対して、デビューから2009年7月までに現金だけで110億ウォン(分配金92億ウォン+支給金17億7000万ウォン)を支払っており、高級車(契約と関係ないボーナス)なども提供してきた。また、事業環境の変化によって楽曲印税、広告出演、イベント、肖像権ビジネスなど、さまざまな分配率があるにもかかわらず、一部分だけ(不正確に)浮き彫りにしている。

このように互いの主張は真っ向から対立し、結局、東方神起は分裂。

ユンホとチャンミンは3人に復帰を呼びかけたが、3人はそれに応じず、2010年10月には「JYJ」というグループ名で活動を始め、その1カ月後、東方神起はユンホとチャンミンのデュオとして再スタートを切ったのだった。

ユンホとチャンミンが牽引していく“成功”

それにしてもユンホとチャンミンは、なぜ3人に同調しなかったのだろうか。

韓国メディアによると、まずはSMエンターテインメントへの感謝が大きかったとしている。

ユンホとチャンミンもSMとの契約条件に100%満足しているわけではないが、デビューからおよそ5年間で、それぞれ15億ウォン(約1億5000万円)以上の収入を得るまでになったことをありがたく思っていたという。

また、“アジア最高のアーティスト”に育ててくれたSMへの“信義”もあった。

「SMが練習生時代から支援を惜しまず自分たちに投資してくれたからこそ、今の東方神起がある」。そんな思いが強かった。

さらにいえば、そのSMが自分たちの可能性をさらに高めてくれると、確信していたのだろう。目先の金銭的な問題ではなく、SMとともに今後も成長していきたいという思いが強かった。

韓国のとある音楽関係者も語っている。

「ユンホとチャンミンはSMのマネジメント能力を高く評価しているし、信じている。実際、今や韓国だけでなくグローバルな人気を誇るグループとなった東方神起をマネジメントできる会社は、韓国にはSMしかない。ユンホとチャンミンは賢明な判断をした」

実際、東方神起はデュオになっても、その勢いが衰えなかった。

1年以上の沈黙を破って2011年1月に発表された『Why?(Keep Your Head Down)』は韓国はもちろん、日本でも大ヒット。
同名タイトルのシングルは日本レコード大賞の優秀作品賞に選ばれ、年末には2人で紅白歌合戦にも出場した。日韓両国で多数のテレビ出演やCM出演をこなし、新生・東方神起をアピール。既存のファンだけではなく、新しいファンも増加していった。

翌2012年には『東方神起 LIVE TOUR 2012 〜TONE〜』を開催。単独公演としては2009年7月以来となる東京ドーム公演もあった同ツアーでは、55万人の動員に成功した。

さらに2013年には、海外アーティスト初となる日本5大ドームツアーとスタジアム公演を成功させた「東方神起 LIVE 2013〜TIME〜」で85万人を動員。2014年の全国ツアーの観客動員数も計60万人に達した。

ユンホとチャンミンのデュオになってからのツアー総動員数を合算すると、4年間の日本単独ツアーで計275万人以上のファン動員したことになる。

それは、日本の歴代海外アーティストとしては史上最速スピード。

デュオになっても東方神起が絶大な人気を誇っていることは、誰の目にも明らかなのだ。


つづき⇒http://s-korea.jp/archives/19261